今回は脚注で揃えてみました!

先日、西村賢太氏の新作目当てで『文學界』(2013年5月号)を一号遅れで購入しました。
さる大型書店チェーンの多分本店で……。
その都内の大型書店には、何かの用事があって近くに行った時には必ず立ち寄るようにしていて、『現代詩手帖』などを購入しているんですが、同誌が店頭になかった場合、『SFマガジン』、あるいは上記『文學界』などを購入しています。とはいえ、前回の西村氏目当ての『文學界』に掲載されていたのは「豚の鮮血」でしたから、まあ、『現代詩手帖』などを、随分買ってしまったということになります……。

そこで久しぶりの Diary 投稿に、今回購入した『文學界』をザッと読んでみた感想などを書いてみたいんですが……。
予定では、読み切り作品の感想ぐらいは全作品連日連続投稿で──、と行きたいところなんですが……。
でもまずは、あくまでザッと読んでみた感想……、ということで、今回購入の号全体についての感想を……。

①「メッテルニヒ氏」*1のことは、いつか私も、ちゃんと調べてみたいと思っています。この佐藤亜紀氏の連載、早く単行本出ればいいのに……。その本には、参考文献表もありますよね? 勿論本文も熟読しますが、本当に、自分でも調べてみたいんです。
②えっ? シモーヌ・ヴェイユって、そんないいひとだったんですか? 「つまり、悲惨な状況におかれた人間がいたら、その人に『権利がある』というよりも前に、とりあえずわたしたちにはこの人を助ける『義務がある』というふうに考えたほうがよいのです。」*2少なくとも、私の前に現れたヴェイユは、そんないいひとじゃなかったです。自分でも工場で働いてみたり、自分に厳しいひとではあったようですが、その分他人にも厳しいひと……、という感じでした。「権利」の主張よりまず「義務」を果たせ! というほどマッチョなひとではないのでしょうが、とはいえ読む側が、そのように解釈する余地はありますよね? 「つまり、悲惨な境遇にある人間に向かって『あなたにはなになにする権利がある』なんて言っても、その人には関係ないんです。関係ないから、貧乏や悲惨な状況に置かれているんです。『権利がある』とか、そういうふうなことを言う人は、既にして、そういう特権を持っているんだとヴェイユは考えます。」*3このヴェイユは確かに、私の前に現れた──というより立ち塞がった──ヴェイユです。「今君は『権利』と言ったね! しかもそれが、当然の前提であるかのように! それが君が、今までいかに甘やかされて育って来たかと言うことの、証拠の一語なんだよ! 本当に悲惨な人間は、『権利』だなんて甘いことは、言えやしないんだ!」そういうセリフが出てくる場面って、普通言われている側が殴られていたりして、言っている側が殴っていたりするんですが……。充分「悲惨」ですよね? 最首悟とかいう糞野郎の本からの、孫引きのヴェイユだったようですが……。数年後私の前に、ガヤトリ・C・スピヴァクとかいうひとが、まったく同じ現われ方をしました。「本当だったらそんな風に、語れてはいない筈なんだ!」とか……。
上野千鶴子氏の連載の最終回を読めた点はラッキーでした。ただこのひと、「日本の女のこれからを思うと、サステイナブルよりサバイバル、の方が切実だとわたしには思えます。たとえ難民になっても、亡命しても、どこででも生き延びていけるスキルを身につけてほしい、と思うようになりました。それは資格を集めたり、専門スキルを身につけることと同じではありません。自分にたとえ力がなくても他の社会的資源を動員できる能力、いわば生きる上での才覚というものです」*4などと、困難なことをサラッと言っちゃっている感じがします。そんな「才覚」が持てるんなら、誰も悩んじゃいませんよ……。おそらく、男女問わず……。それでも、そういう時代は厭でもやって来るってことでしょうね? 「ただし十回で述べたように、差別的企業が従来の雇用慣行を温存したまま現状維持でいるあいだに、革新的企業(その多くは外資系でしょうが)に国際競争で敗北していく危険があることは覚えておきましょう。」*5結局このひと、「ネオリベ」を歴史の碾き臼として肯定しちゃってるんじゃないでしょうか? そうなると、「ネオリベ」と「ネオコン」とを一々区別している点なんかも、学問的に正確を期す──、というようなこととは違った文脈を持ってくるような気がするんですが……。
④「ようするに『現実は虚構だ』と口にするその当人が、自分だけは『虚構=現実』とは別のどこかにいると微塵も疑わない。そういう余裕な精神にちょっと『現実』を突きつけてやるだけで、蜂の巣をつついたように大騒ぎする。そんな光景を腐るほど見てきた」*6というところは良かったんですが、「そんな光景を腐るほど見てきた」筈のひとが、「デリダもそうだった」*7などと書いてしまっているのは、どうも……。いや、「ちょっと『現実』を突きつけてやるだけで、」デリダだってどうせ「大騒ぎする」さ──、というんなら、別に構わないんですが……。そのデリダに係わる部分を、もう少し長めに引用してみましょう。「小林秀雄の『本居宣長』を思い出そう。小林は古事記の世界では言葉と現実の区別がないと言った。その『神の言語』が『漢意』(現代風に言えば心情よりも尺度や数値を優先する科学主義)によって堕落する。そこから再び神の言語の境地に到ること、それが宣長の試みである、そう小林は書いた。本書に即してそれをSF的な世界と言ってもいいかもしれない。しかし、重要なことは、そんな神的領域に行くために、宣長=小林は、想像を絶する苦難に耐えたということだ。デリダもそうだった。」*8私の周囲で「デリダによれば……」などと言ってたひとたちによれば、「テクストの外部には何も存在しない」とかいうのが当然の前提で、「それなのに君みたいな馬鹿が(つまり、私のことなんですが……)、未だに素朴に、『外部』なんてモンを信じちゃっているよね」というのが、いつも繰り返される結論でした。すると彼らも、その「想像を絶する苦難」とやら「に耐えた」ってんでしょうか? 確かに彼ら、そんな風なことも言ってはいましたが……。「蜂の巣をつついたよう」な「大騒ぎ」の中で……。

以上、全体からザッと見繕って……。とはいえそれで、全体についての感想になるというわけじゃないんでしょうが……。結局、今回もまた書けませんでした……。
失礼しました。

*1:佐藤亜紀メッテルニヒ氏の仕事─第五部─」『文學界』2013年5月号、株式会社文藝春秋、32−91ページ.

*2:鹿島茂「なぜ『レ・ミゼラブル』は人の心をうつのか?」『文學界』2013年5月号、株式会社文藝春秋、256−257ページ.

*3:同上、256ページ.

*4:上野千鶴子「女たちのサバイバル作戦──ネオリベ時代を生き抜くために 最終回 女たちのサバイバルのために(後編)」『文學界』2013年5月号、株式会社文藝春秋、302ページ.

*5:同上、296ページ.

*6:大澤信亮藤田直哉『虚構内存在 筒井康隆と〈新しい《生》の次元〉』」『文學界』2013年5月号、株式会社文藝春秋、336ページ.

*7:同上.

*8:同上.