自己紹介代わりに…
ルサンチマン、自意識過剰、被害妄想……。
そういった類の“知ったふうな言い方”が大嫌いです。
自意識過剰、被害妄想は心理学用語? なのでしょうか? とはいえ、ちゃんとしたカウンセラーに言われているわけではないのです……、私の場合……。
小此木啓吾辺りを読んだ素人心理学者連中が、自分がいいカッコをしたいというただそれだけの理由で(その他の理由は考えられません……。「君のために言ってるんだろう!」って、まさかね?)、普段は気が弱い私のようなタイプを、鴨にしているわけです。
そもそもカウンセリングって医療行為なのでは? それを本人が望んでもいないのに、無資格でやっているわけです。いいんですかね? そんなことが許され続けちゃって!
小此木啓吾辺りを……、と書きましたが、この小此木啓吾というひとはフロイト関連の新書なども書いているひとで……、フロイトと来て、そして前記ニーチェと来れば……、私の嫌悪感の対象を明確化することができる……、という気がするのですが……。
[……]今村は、『現代思想の系譜学』(筑摩書房)や『現代思想のキイ・ワード』(講談社→筑摩書房)などを中心に、現代のいわゆるポスト構造主義的な思考に関する論評を精力的に書いている。アルチュセール、ラカン、フーコー、ドゥルーズ、デリダらの思考や、その思想史的な源泉ともいうべき“グレート・ジャーマン・トリオ”──マルクス、ニーチェ、フロイト──のラディカルな問題提起、さらにはハイデガー、アドルノらによる形而上学批判の作業、これらが思想史のなかでもつ意味を、彼は、問題構制(プロブレマティックス)の系譜関係という視角から明快に描きだしたのであった。
鷲田清一「解説 《破壊的》な知性」今村仁司『排除の構造』(ちくま学芸文庫)筑摩書房、1992年、275−276ページ.
要するに私は、ポストモダニズム系の連中が大嫌いなのです。
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それと最近気になるのが、承認欲求という言葉です。
今日もまたその言葉に出会いました。ネットで新刊案内を見ていて……。
[目次]
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2 [……]
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9 在特会に加わる理由―疑似家族、承認欲求、人と人同士のつながり…みんな“何か”を求めている
安田浩一『ネットと愛国 在特会の「闇」を追いかけて』講談社、2012年4月.
この本のテーマである在特会の問題自体は取り敢えず保留にしてもらって(あるいはお好みに合わせて、“対象を括弧に入れてもらって”、などという言い方をしたほうがいいかもしれませんが……)見ると、抜き書きにして示した部分にもある「疑似家族」、とか、「みんな“何か”を求めている」、とか、なにやらレッテル貼りと、心理学なり社会学なりの学術用語を気取った紋切り型とに溢れ返った本、といった印象を拭い得ないのですが……。
(目次だけでなに言ってるの! って……。とはいえ目次って、その本の“マニフェスト”とも言える部分なのでは?)
以上。
自己紹介代わりになっているでしょうか? 自分では、性格が良く出ている文章だと思うのですが……。文章になっていない……。それはそうかもしれませんが……。
失礼しました。